災害に強い亀山

亀山市は海岸線からは10km以上離れ途中には高台もあって津波の来る恐れはまったくない。

また急峻な地形に住宅が広がる地域も無く山崩れもほとんど心配のない地域である。

川の氾濫も一部で心配はあるものの近世の河川改修で大きく改善された。

歴史をさかのぼっても多くの死者が出たような災害は無い。

この先、東南海大地震などが来ても自助努力で乗り切れるだろう。

 

亀山に多い苗字

豊田さん

阿野田地域に多いですが全域に広がっています。亀山トリエンナーレ実行委員会事務局の森敏子さんも旧姓は豊田です。

伊藤さん

三重県に多い姓です。

亀山にもたくさんの伊藤さんがいます。
亀山トリエンナーレ実行委員会代表は伊藤峰子さん、

ちなみにこのサイトの制作者ねこさんも本名は伊藤です。夫婦じゃないけどね。

なあなあ亀山

伊勢の地は昔からなあなあ文化です。

温暖で海の幸、山の幸に恵まれ何とか暮らしていける土地柄ゆえハングリー精神が育ちません。何かトラブルがあってもまあまあ、なあなあで済ませます。まあ個人差もありますけどね。三浦しをんのこの小説、映画

「WoodJob」にもなっています。伊勢の地の地域性が出ています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8E%BB%E3%81%AA%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%82%E6%97%A5%E5%B8%B8

どっかん餅(いばら餅)

当地はかしわ餅よりいばら餅が多いです。

でも亀山ではいばら餅とは言いません。

どっかん餅といいます。

なんでも昔、加太付近に住んでいたどうかん和尚が普及させたのが由来とか。

ちなみにいばら餅に使うサルトリイバラの葉は当地の里山では至るところにあります。

ねこの館とは?

市民協働センターみらい正面の市民活動の拠点です。

猫のように自由気ままにしぶとくをモットーにもうオープン以来16年間過ぎました。

主も大家さんも猫好きで裏の大家さん宅には3匹のリアル猫も生息中です。

毎月の家賃を捻出するためPCの修理を生業としているニャン。お隣は学童保育所になっていて子どもたちからは「猫のおじさん」

「ねこじじい」とか呼ばれています。

ねこさんの独り言

現役の時は約40年にわたって電気、電子、機械関係の現場技術者として仕事をしてきた。

ヒヤリとした事例も含め事故の現場を何度か経験してきたから危険を予知する感性も身につけてきた。

アートのことは素人だが技術屋としてお手伝いできることはあると思う。

2016年、神宮外苑で起こったアートイベントで子どもが犠牲となった悲惨な火災事故などは自分たちのような元技術屋が関与していたら防げたのにと残念に思う。

今回の亀山トリエンナーレは従来に比べ規模も大きく映像系など技術屋がサポートする場も増えたと思う。

自由気ままに動ける今だから作家の皆さんとお互い知恵を出しあって、やってよかったといえるイベントにしたい。

 

 

夜になれば

当地は山が多く鹿、イノシシ、猿はたくさん生息しています。特に鹿とイノシシは夜になれば餌を求めて住宅地域にまで出没します。猿は朝方に群れをなして畑を荒らしに来ます。JR関西線の加茂方面は列車とイノシシが衝突しダイヤが乱れることもあります。

でも亀山市内には熊はいないので安心です。

宿場のなごり

江戸時代の初め東海道が整備されたころ

亀山、関、坂下と京に向かう旅人は3宿を利用しました。鈴鹿峠は箱根と並ぶ難所だったのです。平成の大合併で亀山市となりましたが関は往時をしのばせる街並みが残っていて伝統的建造物群保存地区です。

車は必需品

当地は一家に車が2台以上あるのが普通の地域です。豊かというより公共の交通機関が少ないのです。

急がなければ市内循環バスもあります。

坂が多いので学生以外自転車もあまり使いません。

<番猫の由来>

東海道歩きの皆さんがたいてい写真に撮る東町のねこの館付近の樋口本陣跡、ここに置いてある「まちの椅子」は2012年のアート亀山で東京からやってきた若いアーティストたちの作品です。

ここにおさまっている木彫りの猫は2006年ねこさんがカリフォルニアのサリナスという小さな町(ジョン・スタインベックの生誕地)のアンティークショップで買ったものでひょんなことから番猫としてもう何年も居座っています。

 

尻が痛いという声もありますがユニークな椅子として町に定着しています。

シャープと亀山

2011年夏のテレビ放送のアナログから地上デジタル一斉切り替えに備えて日本中のテレビの入れ替え需要があった。このためシャープの亀山工場が建設され2005年頃から2010年頃までは活気づいていた。

経済効果として学校など市内の施設も一気に建て替えが進んだ。しかしその後、堺工場への投資失敗などが原因となりシャープは急速に衰えた。

よくメディアの取材で亀山はえらいことでしょうと言われたが実態は「別に・・・」であった。もともと現地雇用はほとんどなかったし昔に戻っただけである。

亀山に三重県初のコストコが開業します。
場所は交通の便が良い名阪インター横、
サンシャインパークの南側

早ければ2024年春にも開業か?

カメヤマローソク

年配の人なら全国どこに行っても亀山といえばローソクを連想するそうです。

確かにカメヤマローソクの全国でのシェアは50%とか。歴史はありますが地域では特に目立つ会社ではありません。

ちなみに結婚式でのキャンドルリレー(サービス)はカメヤマローソクが仕掛けたとされています。

 亀山駅近くには直営店もあります。

キャンドルハウス 亀山店

Tel:0595-82-8961

【営業時間】11:00-17:00【休業日】木曜

東海道ウォーカー

東町商店街と舘家前の道は由緒ある東海道です。加藤家屋敷は亀山城内だったので街道は迂回していました。

街道歩きブームもあって当地は全国からウォーカーが通り過ぎます。

「どこから?」と聞くと「横浜」等など

遠方からの人たちが大半です。

昨今はガイド付きでのツアー会社の団体も多いです。

皆さん桑名や四日市起点で関まで歩いてその日の工程をクリアーするようです。

そしてまた別の日に関から鈴鹿峠を越え土山、更に京都まで歩くのです。

 

西高東低(西老東若)

といっても気圧のことではありません。

鈴鹿川に沿って西から東にむかっての住民の年齢層です。

関・加太地域は高齢者が多く東に行くほど若い世代が増え鈴鹿市まで下るとずっと若くなります。

これは鈴鹿地域に働く場が多いこと、新所帯向けの団地が多いことが理由です。

かめやまvs 亀山

旧亀山市と鈴鹿郡関町が合併して現在の亀山市となったのは2005年1月(平成17年)、いわゆる平成の大合併である。

このとき新市の名称をどうするかでケンケンガクガクがあった。鈴鹿市と合併する話もあったが鈴鹿市は四日市と合併する意向もあり最終的にタイムアウトで亀山と関の合併に落ち着いた。さて新市の名称であるが関町は亀山市関町となったものの昔からの世代は関は関だとの想いも強い。

そこで「かめやま」と表記して何んとなく一体感を出すようになった。まあこれも「なあなあ」の土地柄である。トリビアというよりガセビアとしておこう。

関の山

一生懸命やってできる可能な限度。精いっぱい。また、せいぜいこの程度といった意味合いで全国で用いられますがこの由来は亀山市関町の山車(やま)からです。

関宿の祭礼は江戸時代から続く伝統行事で、山車が互いに競い合い、家々の軒先をかすめるよう巡行します。狭い街道はそれだけで埋まってしまい、身動きもとれないほどから、精いっぱいの意味で用いられるようになったといわれます。

 

「机つって」

後片付けの時など亀山では普通に言います。机を運ぶ時、手伝って下さいという意味です。